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建築計画の分野で「コミュニティ」が大切だとよく言われますが,
どこか胡散臭さを感じることがあります.
「プライバシー」を重視した生活を選ぶ人が居るという事実に対して
「コミュニティ」の重要性を語るだけでは,前に進めないんだなぁ…
と県人寮での生活を振り返っていたちょうどその時に,
この現象を上手く捉えた説明に出会うことができました.
細かい説明は抜きにして,ここではエッセンスだけ紹介します.
- 個人が「コミュニティ」を必要とする時期には,波がある.
- 個人の集合体でみると,その波が重なり合ってノイズ化している.
- ある瞬間を切り取ると,必要としている人もそうでない人もいる.
- Aさんが図のようなリズムで「コミュニティ」が欲しいと思っていても,
時期1のように他人の気持ちとシンクロすることもあるが,
時期2のように他人の気持ちと沿わない場合のほうが多い.
- 確かに「コミュニティ」は大切なんだけど,
それを求める気持ちがすぐに共有できるとは限らず,
強要するだけでは人が離れていってしまう.
それよりも,時期1に備えて出来ることがあるはずだ.
言ってしまえば当たり前のこの現実,僕は自覚できていませんでした.
コミュニティの話に限らず,「君の為を想って言ってるんだよ」と
人生の先輩たちが日々いろんな価値観を押し付けてきます.
僕自身が「君の為を想って言ってるんだよ」と言ったこともあります.
それより先に出来ることがあったはずなのに…
- 「今この勉強をしておけば将来役に立つんだよ」なんて親は言うけど,
本人は実感が湧かないから,勉強する気なんて起きるはずもない.
そんなこと言わなくても,本人は必要な時に自分で勉強するから,
その時に向けて親が「今,出来ること」は他にあるはず.
- 「所詮人間は独りだから強く生きなきゃ」と厳しく言う他人がいるけど,
本人も分かってるんだよ,そんなこと.それでも人の優しさを願うんです.
そんなこと言わなくても,本人が苦しむ時はいずれやってくるから,
その時に向けて他人が「今,出来ること」は別にあるはず.
自分の価値観の正当性を他人に語るのが無意味だと,
それを必要とするタイミングが十人十色なだけだと,
コミュニティの話を通じて実感することができました.
「今,出来ること」が何なのか正直分かりませんが,
とりあえず模索し続けようと思います.
今回参考にしたのは,大月敏雄先生の講演です.
ありがとうございました.