ビートについて その4


Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/rhapsodia/www/weblog/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524

ビートについてのおぼえがき,第四弾.
今回は『ビート』と対人関係について.


Beat & Others

今回の記述は,ビートの根本的なイメージに限りなく近い.
せっかくなので現時点でのビートの定義を記しておきます.

現実世界を生きる自分に対して,理想を抱き続ける内なる自分.
無意識下で理想を更新し続け,現実との差異に敏感に反応する.
唸りのような不快感を生じさせて,現実世界に行動を喚起する.

以下の文章中で【自分】【他者】と記述してある箇所には,
ビートを抱えた存在であることを強調する意図があります.


まず【自分】との内的葛藤について考察してみます.

アイデンティティを確立しようと夢を抱いて理想へと突き進む一方で,
現実は理想に追いつけない.努力し続けて理想に近づけば近づくほど,
勝手に成長する理想像との隔たりに苦しめられる.夢追いは非現実的.
だからビートに導かれ自分の理想を演じて自己同一化を図りつつ,
現実的な生活を送るために理想を一部諦めてビートと距離をとる.

この過程で理想が現実を置き去りにしたり,
あるいは逆に現実が理想を無視し続けたりすると,
自分についての現実像と理想像が完全に分離して,
人格の分裂を引き起こす.自分が自分でない感覚.

何か作品を生み出す過程もこれと似たところがある.
完成像を同定し,そこへ到達するための技術を身につけたら,
理想へ近づいていく創作過程と理想から遠ざかる破壊過程を
試行錯誤の間ずっと繰り返す.生みの苦しみとはこのことだ.

締め切りのせいで,理想を一部諦めて作品を発表することになる.
締め切りのお陰で,理想に追いつけない苦しみから解き放たれる.
一度諦めた理想は,締め切りの後で個人的に追及すればいいのだ.


次に【他者】との外的葛藤について考察してみます.

赤の他人と縁を結び,その人に「こうあってほしい」という理想像を抱く.
しかし他者についての自己中心的な理想像が現実像と一致するわけはない.
理想を全て他者へ押し付けるのは非現実的.一部を諦める必要性が生じる.

他者に理想像を抱いて近づく過程は,友人・恋愛・養育などの関係にみられる.
対人関係の初期に顕著で,抱擁・依存をどこかで求めている自己中心的な関係.
他者への理想像を諦め遠ざかる過程は,親友・結婚・独立などの関係で起こる.
抱擁・依存をどこかで諦める必要があるが,これは永く関係を続けるため知恵.
互助と抱擁・依存の間を常に行き来することで,密な人間関係を形成していく.

この過程で理想が現実を置き去りにしたり,
あるいは逆に現実が理想を無視し続けたりすると,
他者についての現実像と理想像が完全に分離して,
対人関係の断裂を引き起こす.赤の他人に逆戻り.
復縁することのない不可逆な断裂になりかねない.

この断裂を嫌って他者に理想を抱くことを止めてしまうと,
無縁と互助の間を行き来する,疎な人間関係が形成される.
「おひとりさま」などの発想はここからくるのではないか.


Beat & Conflict

さてここまでは【自分】が【他者】を眺めているだけの第一段階.
ここからは【他者】が【自分】を眺めているという意識を想定し,
この二つを重ね合わせた状態すなわち第二段階について考えます.

人の心に 土足で入り込んで
ドアも窓も勝手に 開け放ったあなたの
おかげで僕は人生を 台無しにしちゃうような
素敵な風景に 出会えたんだ

「パーフェクトライフ」(amazarashi, 2011)で唄われるフレーズ.
【自分】との内的葛藤として捉えていた現実と理想のせめぎ合いに対し,
【他者】が踏み込んでくることで,現実と理想のそれぞれが更新される.

君はそいつを嫌いになってしまったと言う
もう一緒にはいられない 消えてほしいと言う
内側から見たそいつを僕は知らないけど
外から見たそいつならよく知っているから

半分しか知らないままに答えを出すのは
なんかすごくとても あまりに 勿体ないから
外からずっと見てた僕の話を聞いてよ

「謎謎」(RADWIMPS, 2009)で唄われるフレーズ.
他者から見た自分についての現実像は,自分から見たそれとは大抵異なる.
この歌詞のように自尊心の低い人のアイデンティティ確立を支えてくれる.

僕の好きな君 その君が好きな僕
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ

「me me she」(RADWIMPS, 2009)で唄われるフレーズ.
同様に,他者が抱く自分についての理想像は,自分が抱くそれとは異なる.
密な人間関係を求める過程で,少なからず他者が抱くそれを演じるにつれ,
自分が抱く自分についての理想像が更新され無意識にビートが育つのです.

カテゴリー: <a href="http://octopuswiener.com/weblog/category/heart/" rel="category tag">心髄 Heart</a> コメントする

ビートについて その3


Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/rhapsodia/www/weblog/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524

ビートについてのおぼえがき,第三弾.
今回は『ビート』と生活習慣について.


Beat & Cycle

この図からマズローの五段階欲求説をイメージする方がいるかもしれませんが,
他者の存在を前提としていない点が決定的に違います.自分の不満解消が原点.
どんな理想を抱き,現実との差をどう感じ解消してきたかが人生をかたち作る.

いわゆる三大欲求などは,低次欲求として再解釈できそう.
生理学などの科学的立場をいったん無視して考えてみると…

  • 「食欲」空腹という物理的な欠乏感を埋めるだけで,満たされた気持ちになる.
    → 排便や歯磨や入浴などは,これとは逆の余剰感からくる.
  • 「性欲」一時的ではあるが,全てを忘れて溺れられる程の強い快楽をもたらす.
    → 喫煙や覚醒剤も,同じような魔力をもっているのかも.
  • 「睡眠欲」現実ではちぐはぐな内容も,夢の世界では違和感なく解釈され得る.
    → 飲酒や宗教も,同じような魔力をもっているのかも.

恵まれた環境で健全に育てられたなら,難なく次のステップへ進めるのですが,
低次な分だけ吸引力も強く,ここに頼った生活を送ると抜け出せなくなります.


ビートについて その2とリンクさせて,TVゲームや芸術鑑賞について考えてみます.
どれだけ主体的に参加している人であっても,消費者として作品には受動的になる.
その作品内では,巧妙に計算された違和感とその解消が快感を呼び起こしてくれる.
作品内で解消されなくとも,違和感に気付けたり理想像が明確になったりして,
ビートが活性化すること請け合い.これが次のステップへの原動力となるので,
これらエンターテインメントの分野が隆盛を続けるのだと,僕は考えています.

一時期流行った「アハ体験」も同じように解釈することができます.
クイズやパズルなどは手軽で,ちょうど良い気晴らしになりますね.
最近では携帯電話一つだけで,多様な気晴らしが出来てしまいます.


仕事をする,人と付き合う,などの社会的活動に関わるときは,
自分の不満解消だけでは済まない.じゃあどうすればいいのか.
正直分かりません.ただ社会的活動の自分にとってだけの価値を想定すると,
他人という障壁がいる分,時間を要する高次欲求に位置すると考えられます.
そこに希望を見出すのなら,それまでの低次欲求に囚われない生き方が必要.

「ひきこもり」は囚われています.空間的にも自分自身のビートにも.
現代日本の都心部では個室化が進み,インフラも十分に整っています.
金銭的援助さえあれば,自分だけで低次欲求を満たすことが出来る.
他人とあまり接触しなくても満たされた気分を味わうことが出来る.
ただし現実として感じられる未来は,3日後くらいまでが限度.
低次のサイクルをただ繰り返すだけで,長い人生を描けない.

社会に出ている人もよく似たもの.高次欲求が満たされないと確信し,
「永遠はない」と悟り,精神的な「ひきこもり」つまり孤独を求める.
ビートがうるさくても,独りで低次欲求を満たしていれば気は晴れる.


満たされた気持ちになって その実また空っぽだ

「空っぽの空に潰される」(amazarashi, 2011)で唄われるフレーズ.
時代のスピード感を真に受けて,右から左へ受け流す生活でいいのか.

もうすでに建築は負けた、譲った、という感じもする.

『これからの建築理論』(東京大学建築学専攻, 2014)で語られた
原広司のこの言葉を受けて,自分に出来ることは何なのだろうか.

周りの人と深い関係になれないから音楽にのめり込む.

こんな言葉を言っていた人がいます.本来の意図は分かりませんが,
その意味が痛いほど突き刺さる.あの人の描く理想は何なのだろう.

カテゴリー: <a href="http://octopuswiener.com/weblog/category/heart/" rel="category tag">心髄 Heart</a> タグ: <a href="http://octopuswiener.com/weblog/tag/%e3%81%b2%e3%81%8d%e3%81%93%e3%82%82%e3%82%8a/" rel="tag">ひきこもり</a> コメントする

ビートについて その2


Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/rhapsodia/www/weblog/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524

ビートについてのおぼえがき,第二弾.
今回は『ビート』と社会活動について.


Beat & Industry

ある創作にとりかかる直前,あるいはその最中に,
頭の中にぼんやりとではあるが,完成像が浮かぶ.
それを目指してスタディあるいは試行錯誤をする.

五感では捉えられないんだけれど,消費者としてのもう一人の自分がいて,
こいつの反応を捉えることが出来れば理想に近づいていくことができます.
ただし,完成品をなんらかの形で社会に出して他人に評価してもらうなら,
創作にかけられる時間が限られるので,どこかで理想を諦める必要がある.
生産者としての自分は大人になってビートを無視する必要があるわけです.

〆切とは,完成品の更新をやめるときのこと

『僕がコントや演劇のために考えていること』 (小林賢太郎, 2014)
語られたこの言葉は,ビートを無視出来るだけの力を秘めていそうです.
そうやって考えないと,社会が生きづらい場所にしか感じられなさそう.

どんな結論も仮説にしかなりえない,と伝えてくださった西出教授は,
ビートに囚われた僕を見抜いて,あの言葉を発したんじゃなかろうか.


この考え方を会話に当てはめれば,どうなるでしょう.
言葉の消費活動と生産活動の繰り返しと考えられます.
会話に慣れていない人は,自分のイメージに合う言葉を探し,
発言する前にじっくり練って,正確な言葉だけで慎重に表す.
当然相手のテンポが早すぎる場合は,疲れてついていけない.

かといって,付け焼き刃で言葉を乱射できるようになっても,
ビートを無視できないうちは,自分の発言に違和感を覚えて,
言葉に言葉を重ねて,とんでもない醜態をさらすことになる.
僕はこのことで,何度も失敗してきました.
相手が言葉を慎重に選んでいる最中なのに,
会話に疲れる辛さを知っているはずなのに,
自分の暴走を止められず相手を傷つけてしまうのです.

アサーションは,ビートとの上手い付き合い方を提示してくれるようです.
閉塞的にも,攻撃的にもならないで,相手の言葉を使いながら話せたらな.
コミュニケーションの手段も場所も,刻一刻と多様化しています.
なぜ自分はそれを選ぶのか,なぜ相手はそこを選んだのか,考えてみる.
スルーしているのにも理由がある.ペースを合わせながら気長にやろう.

カテゴリー: <a href="http://octopuswiener.com/weblog/category/heart/" rel="category tag">心髄 Heart</a> コメントする

ビートについて その1


Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/rhapsodia/www/weblog/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524

作詞 習作#02『ビート』のページで表現した内容について考えていると,
『ビート』が僕の世界観の中枢を成しているように思えてきたので,
これから少しずつ今まで経験してきたことの再構成に挑んでみます.

ビートについてのおぼえがき,第一弾.
今回は『ビート』が生まれたきっかけと着想について.


  • amazarashiの『後期衝動』
  • 谷山浩子の『まもるくん』

この2曲を聴いていて何か共通するものがあると感じて,
アンサーソングとして詞を作ろうと思ったのがはじまり.

理想を抱きながらも現実世界でモヤモヤした違和感があって,
それに何とかして対処しようとする人々の姿が見え隠れする.
この違和感が様々なレベルで至る所に存在していて,
何とか対処し続けている人が「社会人」と呼ばれる.

頑張って対処しようとするんだけど,どうしても無視できない.
「考えすぎだよ」「もっと気楽に」と言われても無視できない.
頭で分かっていても,気になってしまうんだから仕方がないの.

暴走する自分の中に化け物じみた存在が時々うごめいていて,
幸せに手が届きそうな瞬間,活発になるのが特徴らしいです.

ビートが生み出す気持ち悪さは不快感である一方,
新しいステージへの原動力でもある.これが重要.
社会人は胸中に居座るビートと上手く付き合って,
服従したり無視したりを繰り返しているんだろう.

理想を捨て去れば不快感も生じ得ないが,そう簡単にビートは殺せない.
無理に白黒はっきりさせようとすると最悪の場合,自殺願望が立ち昇る.
結局はビートと上手く付き合っていくしかないわけで,
その方法を今までの経験を元に模索しようと思います.


勝手に成長する自分のビートとの付き合いに慣れたとき,
他人のビートとも上手くやっていけるのかもしれません.
その時やっと,「存在の肯定」が実現できるのでしょう.

カテゴリー: <a href="http://octopuswiener.com/weblog/category/heart/" rel="category tag">心髄 Heart</a> コメントする